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2006年01月30日

木登りの誘惑

時々無性に木に登りたくなります。
ちょうど2年位前の春ごろ大学を移って
巨木の多いキャンパスに通うようになると
毎日木のエネルギーを感じ、浴びながら
木に登りたくてうずうずしていました。
しかし、大学のキャンパスで
さすがに一人では恥ずかしくて登れません。
その頃、私は本気で木登りサークルを立ち上げて
仲間を募ろうかと毎日考えていました。

原風景というと大げさかもしれませんが
近所の公園のメタセコイアの木で遊んだことが
昨日のことのように思いだせます。
杉のような木肌の少しけばだった手触りや
太い枝にまたがって木をゆすった時の鈍い振動や
簡単にぽろぽろととれてしまう細くて
小さい葉っぱを手でむしる時の感じや
その間から見えた風景や、そんなもろもろを
もう20年近くたった今でもリアルに思い出すのです。
20年ですって。そんなに生きてきたのか。私。

子どもは木に登ります。
大人は木に登りません。
大人が木に登るには理由がいります。
めずらしい虫がいたんで、つい年甲斐もなく、とか、
息子の凧がひっかかってしまって、いやはや、とか
そういう人が納得するようなありきたりな言い訳がいります。
そもそも言い訳なんてありきたりなものですね。

子どもが木に登るのに理由はいりません。
登りたいから登る、そういう自由な感じがとても好きです。

木に登りたい大人はどうすればいいのでしょう。
理由を説明しなければならない相手が
多い昼間はまず避けなければなりません。
そうでなければ変人扱いされ、運が悪ければ通報されてしまうかもしれません。
では、夜は。
夜ならば人も少ないし、暗いので心おきなく木登りを満喫できるかもしれません。
しかしその際は絶対に人に気づかれないようにしなければなりません。
そうでなければ、確実に狂人扱いされ、間違いなく通報されてしまうでしょう。

大人って不自由ですね。

2006年01月24日

笑いについて

恐らくは母親ゆずりで
小さい頃から笑い上戸でした。
どれくらい笑い上戸だったかと言うと次のとおり。
小学校3年の給食の時間、4つの席をくっつけて
いわゆる「班」の形で食べていたときに
前に面白いことを言ったり面白い顔をしたりする男の子がいて、
ひたすら笑っていました。
すると、大好きな担任の男の先生から注意されて
うちの「班」は解体を命じられたのでした。
それくらいです。

中学も終わりに入ると、あんまり笑うと
失礼なことも多くなってきたので
顔をそらしたりくちびるをくっと噛むことで笑いを
そっと逃がしてやるやり方を修得しました。
これは今でも役立っています。

大声で腹の底から笑うことは昔と比べて減りましたが
その分余計に、他人が大笑いするのを聞くのは本当に好きです。
私が特に好きなのは、酔っぱらったおじさんたちの
訳もなく止まらない笑いで、これは居酒屋でとなり合わせたりすると
聞いていて一緒に笑ってしまいます。
笑ってしまうことそれ自体がもう楽しいのです。

笑いにアナーキーな力があるのだと気づかされたのは
大学の美学の授業で「薔薇の名前」という映画を見せてもらってからでしたが、
そのことは別にしても、笑いにはそれ自体に魔力的な力があるように思えます。
そんなおおげさなと思うそこのあなたは、唇が切れるほど
笑いをこらえたことがないのでしょうね。

2006年01月14日

天高く、猫肥ゆる冬

何だかおかしいと思ったのは近所の猫
(同居人と私は彼女を「お嬢様」と呼んでいます)
がかなり太ったことに気付いたのがきっかけでした。
お嬢様は三毛で、いつも自分の家の前で
ひなたぼっこなんかしている優雅な愛らしい猫でした。
それが、ある日子ねこを引連れた黒猫の野良一家が
その辺りにやってきて住み着いてから
あまりお嬢様の姿をみかけなくなりました。
久しぶりにみかけたお嬢様の姿は別猫かとみまごうほどに
でっぷりまるまると太っていました。
一体どうしたことか。
なぜこんな急激に、あの美猫が太ったのか。
恐らくお気に入りの日なたぼっこの場所を
野良一家にのっとられ、お嬢様はストレスで
やけ食いでもしてしまったのだろう。
私と同居人はそんなわけで、少しお嬢様に同情していました。

やっぱりおかしいと思ったのは、
正月実家に帰って家のクロを見てからでした。
一ヶ月前にあった時とは比べ物にならないほどに
黒光りする毛に包まれた体ははちきれそうなほどぱんぱんでした。
母曰く「秘かにボディビルをしているのだ」ということでしたが
こんなに急にどこでボディビルをしてきたというのでしょう。
ここ一ヶ月ちょこちょこ実家に戻ってもクロちゃんに会えなかったのは
私に内緒でネコ用ジムに通っていたとでもいうのでしょうか。
巨体になったクロちゃんをなでながらも、納得できないでいました。

どうしてもおかしいと思ったのは、昨日の夜4日めの
レコ—ディングが終わって帰宅途中のことでした。
私と同居人は以前「白いおじさん」と名付けた
野良猫にあったことがありました。
穏やかな晩秋の午後、柿の木の下の塀で気持ち良さそうにねていたのが
白いおじさんでした。目が小さくて、薄汚れて、
何だか面白い顔をしていましたが、とても幸せそうでした。
それ以来、数カ月白いおじさんに会うことはまったくなく、もしや
何かあったのだろうか、と心配していたのでした。
それが昨日の夜、おじさんは以前会った場所にいました。
しかし、彼もまた、やはり異常に太った体をゆさぶって、
私の前にやってきたのです。
冷たく黒いコンクリにごろごろと白い巨体をなでつけて
再会を喜ぶ白いおじさんを横目に、私はある確信を得ました。

今年の冬は寒い。
厳しい寒気は野良ネコあるいは放し飼いのネコたちの体にたっぷりと
脂肪をつけたのです。
寒さに弱くなった近年の自分には、冬の寒さは
毎年同じように厳しく感じられつつあるのですが、
短期間の内にでっぷりと太った三匹の猫達を見て、
改めて、今年の冬の寒さを思い知らされたのでした。

2006年01月06日

自転車道と小日本

元旦。
実家に帰るのでバスを待っていたときでした。
バスの時刻表の前でおじいさんが停留所に立っています。
そこに30代位の女性が自転車でその前を通り過ぎようとしました。
停留所のある歩道は狭く、そのおじいさんが動かなければ
自転車はすんなり通ることができません。
女性は自転車から下りておじいさんが動くのを待ちました。
おじいさんは動きません。そして次の瞬間大きな声で怒鳴ったのです。
「わしは時刻表をみているんだ、自転車なら車道を走れ、車道を」

女性はびくっとして「すみません」と言ってから、車道に出て
急いで自転車をこいで行きました。

なんとも。

このおじいさんは中国へ行くべきだと思いました。
中国の大きなゆったりとした車道には
自転車用の自転車道があります。
しかしこの狭い小さな道路がひしめく日本で
自転車道のあるところなどほとんどありません。
このおじいさんは中国にいけば、ルールを守る進んだ市民、
すなわち、中国では「文明」的と讃えられる市民になれます。
しかし狭い日本ではただの無理難題をふっかける癇癪じじいです。

そのとき「小日本」という言葉を思いだしました。

反日デモで中国人の若者はこの言葉をしばしば使っていました。
これは、もちろん大きな中国に対しての
小さな日本を侮蔑する言葉として使われているのでしょう。
地理的なことをいいながら、その裏には日本の歴史認識への
鬱屈した怒りがあるとか、中国の日本企業への進出への反発
があるだろうとか
中国人自身の劣等感が反映されているとかいうことも、
色々な人がそれぞれに言っていることだろうと思います。

しかし、このおじいさんの一件で「小日本」という言葉を
咄嗟に思いだしたきっかけは何かと問われれば、
そうした政治的背景のあれこれよりも、
確かに日本が小さいということを思いだしたからでした。

ただし、この「小日本」という言葉が
思いだした後、やけにリアルに響いたのは、
日本が小さくて自転車道がないからというだけではない気がします。

今年の夏、私は長春でタクシーに乗っていました。
長春は昔新京という街で、満洲国の都でした。
運転手のおじさんは、私がその話題にふれると
次のようにいいました。
「日本は昔、大日本帝国なんて言って中国を侵略したけど、
ちっちゃいだろう、ありゃ大日本じゃない、小日本だよ」

目から鱗。「小日本」と中国人が言うとき、
それは中国の大きさをひけらかすためでもなく、
日本の小ささを笑うためでもなく、
小さいものを大きいと言い張った「大日本帝国」に対して
投げかけられていた痛烈な批判だったのです。

戦後60年を経て繰り広げられた反日デモで「小日本」が叫ばれたとき
日本の若者の多くは勿論、違和感と反発と嫌悪を抱いたと思います。
しかし、日本の戦争責任問題には思い到っても
かつてこの小さな日本が「大日本」であったという
ただそれだけの単純な事実を、思いだした若者は多くはなかっただろうとも思います。

狭い日本の歩道で、ほとんどの人は、
悪くもないのに「すいません」と謝って
通ったり、通らせたりしてうまくやっています。
そうした小さな国に住む人々に不釣り合いな
横柄で攻撃的なおじいさんの心性はどこか
「大日本」を叫ぶ心性と重なるようにも思います。

小さいものを大きいという虚勢。虚勢によって生まれる過剰な自信。
そんなものを戦前の日本は抱えていたとするなら
小さい日本にないものをあることにして、
それによって相手を攻撃する威丈高なおじいさんは
中国のドラマに描かれるようなたちの悪い日本軍人(たちの良い軍人も勿論いたでしょう)
をも思いださせました。

この国が再び「大日本」になる日が来ませんように。
元旦におもった次第です。

明日から弾語りのレコーディング。