12月に家にやってきてびくびくしていたカンナちゃんはすでに
垂直とび146,5センチを記録する心身共に健やかな猫へと成長しました。
室内飼いの経験は初めてですが、デブ猫にしないよう、日々垂直とびの記録更新を
めざしていきたいと思います(とはいえ、カンナちゃんは気が向くときしかやりません)。
猫は最初の一年で20歳分年をとるといわれるので、現在4ヶ月のカンナちゃんは
人間にすると小学生くらいでしょうか。このごろはかくれんぼが大好きで、私が隠れると
ばあっと脅かしにやってきます。よくかんだり、遊びに夢中で爪をだしすぎたり、こちらは
いつも生傷が絶えませんが、基本的に寂しがりやなようで、私が部屋を出ると必ずついて出て
戻るとまた一緒に戻ってきます。別に一緒の部屋にいたからとて、
向こうはストーブの前で体をなめたりしているだけなのですが、
どうも、私のことを友達と認識しているようでいつも側にいます。
同居人は私よりもカンナちゃんを溺愛していますが、あまり好意を寄せられていません
(これは同居人が「かわいいなあ。ちょっと抱っこさせてよ」と安易に彼女を持ち上げたがり、
知らず知らず彼女の顰蹙を買っているためです)。
実は子猫を探していた時期、里親募集をしている方にお会いすることがあったのですが
そのとき、驚いたのは、高いエサの指定までして
「普通のペットフードに慣れていると病院食になったとき
食べない猫ちゃんがいるので、これを食べさせてください」と言ったり、
「外は危険がいっぱいなので、猫ちゃんの幸せのために
絶対にベランダにも出さないでください」と言っていたことでした。
またその人が強調していたのが「猫をペットとしてではなく、家族として飼っていただける方に」
ということでしたが、聞いていてなんだかとても違和感がありました。
エサをやって、糞の始末をしてやって、寝顔を見て楽しむ、
なで心地のよさを味わう、時に一緒に遊ぶ、。
猫は確かに、人間にとって永遠の赤ちゃんのような存在という意味では
家族になれるのかもしれません。
それでも猫はペットだと決定的に感じるのは、彼らがあのカリカリを毎日
飽きもせず食べ続けることです。日に三度もあんなに味気ないものを食べさせられて
内心は飽き飽きしているのかもしれませんが、それでも不満を言わずに
結局食べているところをみると、彼らとの果てしない距離を感じます。
ペットというよりも、つまり獣という人間とは異なる、
結局人間に御される存在だと感じるのです。
あんなに味気ないカリカリを日に三度相手に押し付けておいて
「家族」といいはったり「猫ちゃんの幸せ」を勝手に論じたりするのは
なんだかやりきれない気がするわけです。
なのでカンナちゃんは紛れもなくペットなのですが
ペットといってしまうには猫は余りに気高い性質を備えています。
シンガーソングライターのサイトウタクヤさんはその愛猫を「くるみさん」
と呼んでいますが、猫たちのそのはっきりとした意思表示と気品ある物腰とを考えると
まさに成猫はそれぞれ「さん」づけされるべきだと思うわけです。
カンナちゃんはまだ小学生なのでちゃんづけですが、中学生くらいになったら
さんづけにしなくてはと思っている次第です。
ペットとも家族ともつかない我が家のカンナちゃんをとりあえずは
わが友、カンナと呼んでおきたいと思います。