三里塚から遠くはなれて
近所の玉川上水脇に更地が次々と現れ
きれいな緑のフェンスで囲われていく。
上水脇の道は土の遊歩道だ。
ベビーカーで通ると夏のぬかるみで車輪が泥だらけになった。
それでもその道を通ってしまうのは、
上水沿いに咲く小ぶりの百合を娘に見せたり、
数種類のアブラムシを観察できたりするからではあったのだが、
本当はある旅で出会った風景に限りなく近い景色がそこから見えたからだ。
でもそれも一年もたたぬうち見えなくなった。
木々は切られ、畑は掘り返され、家は壊されてフェンスで囲われた。
投函された都のチラシによれば
「幹線道路放射線5号」建設のための上水脇の土地取得率は
50%だそうだ。
まだぬかるみ道を歩いて、「あの旅の景色の場所」を眺めていたころ
「玉川上水を第二の三里塚に」というポスターを目にした。
三里塚、40年近く前の私には実感の湧かぬある闘争の呼び名。
かろうじて知っていたのは、高三のとき文化祭の劇でつかこうへいの「飛龍伝」をやって
そのとき、樺美智子役をやったからだった。劇中では神林美智子と名を変えられた
その女性を演じるべく、高野悦子「二十歳の原点」など、その当時のものを読んだり、
全共闘世代の先生に話を聞いたりした
(これは「脚本」担当もしていたのでその際担当の数人で聞きに行った気がする)。
ともかく三里塚は遠い。
道路建設のための土地取得率50%と聞いてもう50%かと思う。
この一年で景色はがらりと変わった。
「環境の大切さが叫ばれる時代に、貴重な上水の自然破壊を
進めるとは時代に逆行している・・」云々
個人が立てたと思われるたて看板ももちろん撤去された。
地元で頑張って活動している団体はないのだろうかと
サイトをみても、更新が数年前で止まっている。
自宅が壊されるのはごめんと頑張って反対してきた人たちも
ふと新築分譲のチラシをとっておいたりするんじゃないだろうか。
怒りはやり場のないまま風景は変わっていく。
三里塚から遠くはなれて
私は失われた「あの旅の景色の場所」を思い出し、
そのとき一緒にいた人のことを思い出してみる。
うっそうと緑茂る上水にブルドーザが入る日にも、
上水の脇をつまらない街路樹が植えられた大きな道路が走る日にも
それらを忘れないように。