2008年11月15日

山谷の夜 山谷の雨 泪橋交差点

ある絵描きが死んだ。
「ある絵描きの歌」「家なき人」のモデルあるいはインスピレーションの源となった人、Sさん。
ライブではMCで何度か話した。
訳がわからずにいると。

日比谷線南千住駅の小さな改札へと降りる。
思いがけず動悸がはやまる。
忘れていたが、5年前二人で会うために待ち合わせたのは
確かにその場所だった。
Sさんのにやっというはにかみを思い出す。

家をでると雨がやんでいて、もってでた傘が少し邪魔だったのだが、
南千住もすでに雨はふっていなかった。
線路上の歩道橋をのぼっておりて歩き始めると泪橋交差点が見える。
セブンイレブンも見える。

5年前の夏、大学の先輩に山谷の夏まつりに連れてきてもらって
Sさんと出会った。絵を描くというので、後日二人で会って自宅で、
といっても、安い下宿のようなところの一室だったと記憶するが
そこで絵をみせてもらった。私の気に入った一枚をSさんは
セブンイレブンでカラーコピーしてくれたのだった。
普通変わらないものなのだろうが
セブンイレブンのコピー機の位置は同じままで、
そんなことに胸が熱くなる。

労働者福祉会館の二階に上ると
すでに部屋いっぱいにSさんを知る人々がいて
車座になって思い出話が始まっていた。
長居できないのでと入り口近くに座布団をもらって座る。
ふと隣の人の手元をみると「ある絵描きの歌」の歌詞がある。
「是非うたってください」と先日あったとき言っていた
ライターのFさんが配布してくれたようだが
果たして歌えるだろうか。

急ごしらえの仏壇の前にSさんのお兄さんがいる。
横顔しかみえないが、Sさんにそっくりだった。
参加者の一人があんまり似ていてなつかしいので
「これからもここに年に何回か来てもらいたい」と言うのも無理がなかった。
この場には一時間もいられなかったが、お兄さんの顔を見れただけでも嬉しかった。

この場にいる人々はほとんどが、山谷での支援運動を積極的に支えてきた人たちだ。
たった二回あったきりの私が、それでもどうしてもこの場に来たかったのは
Sさんがただ恋しかったというのもあるが、
私が私の作った歌をこれからも歌い続けるからでもあった。
歌い続けるために情報がほしかった。
訳が分からないままではいけなかった。
私が歌うたびSさんの面影は空を舞う。
今生の別れどころではないのだ。
私はSさんの急逝の意味をよく考えたかった。
意味などなくても考えたかった。

参加者はひとりひとり思いでを語った。
どの思い出の色も温度も少しずつちがって、
貝殻を拾って歩くように
その場にいた人たちは、
誰かの思い出の中のSさんの姿
を掌に収めて優しい目をしているように思った。

ある女性が言った。
「新しい色の絵の具を一本買うこと、
それがどれだけ自分にとって大切なことかって言ってました」
高いけどこれしか使わないんだよ、普通の絵の具じゃだめなんだ、
光沢の感じがね、と狭い部屋で見せてくれた
アクリル絵の具のおしつぶされてほとんど残っていないチューブを思い出す。

人々の思い出話は続いていたけれど時間がきてしまって
私は最後にお焼香だけしにいった。
写真の中のにっとわらった坂本さんと対面した。
もっかいきました。
きましたよ、山谷に。
Sさあん。
安らかに、と念じるまもなく
叫びたいような思いが押し寄せる。

挨拶をして、人々の集う部屋を後にする。
歌はうまく歌えなかった。
誰もプロの歌手とは信じまい。
泪橋交差点とその先の駅を目指してさほど寒くない夜の山谷を歩く。
セブンイレブンの明かりが見えてきた。
コピー機はやっぱり同じ場所にある。
原画の端をきちっと合わせてカラーコピーするSさんがいる。
その横に、何となく研究者を目指していたころの私がいる。
ねえ、私ここにいるよ。今は歌を歌っていて多分これからも歌っていくの。

泪橋交差点で信号を待つ。
どうやら、知らぬうちに降った雨の影を残したんだろう、
アスファルトはさっきよりぬらぬらと黒く光っているように思った。